きれい・おいしい・やさしい・たのしい。
私の丹後に「暗い」の二文字はありません。
冒頭の写真、津母(つも)です。民家の屋根越しに見える海の夕焼けと冠島の島影。私はきれいだと思って撮影しました。
水上勉の丹後は、まずしい・あわれ・ひとりぼっち・どんづまり、です。
水上勉は、津母で片桐裕子のインスピレーションを得ました。そして、すぐ隣の集落である泊の地名を借りて「樽泊」という架空の地名を考えつきました。
私のような性格に加えて現在の津母や泊の風景では、水上勉の視点を追体験することはできません。どんな風に心を沈ませれば貧乏で薄幸の女の故郷だと合点できるのか。
と困っているところへ救いの神、いや女神。夕子と同じ19歳くらいの娘さんが原チャリで帰ってきました。貧乏でも薄幸でもなさそうでしたが、夕子同様、切れ長の目尻が少しばかりつりあがった美人でした。
ありがとう。やっとこさで、夕子がいたような気分になりました。
そしたら、夕子の家は?
右の写真のお宅にはえらい失礼なことなんですが、なるべく貧乏に見える部分を撮影させてもらいました。さらに白黒にしてみました。
ここトイレやないんかい?
陽の当たる場所には畑があり、家々は日影に建っていると水上勉の紀行文に書いてありますが、日影と日向(ひなた)は見る時間帯で変わると私は言いたい。
水上勉ちゅうのは、ほんま、話を作りすぎやないかと思ってから、そうか作家やったかと納得しました。
でも、まあ、水上勉的スポットは残ってます。こんなんいかがでしょう?
と、そこへ一匹の野良猫が歩いてきます。わびしさ演出にはおあつらえむきではないですか。
と思っていたのに、こいつめちゃ人なつっこい。スリスリ、ゴロニャン。
あかんやないけ。オレが水上勉でもなついたんかいな?
実は、猫の次には猿が道を歩き始めました。さすがに猿はすばしっこくて、カメラを向けようと思った心理を見透かすように山へ上がってしまいました。
油屋に宿泊していれば、津母沖合いに昇る仲秋の名月も独り占めでしょう。
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