けれども、城下町と知らずに町歩きするほうが、むしろ久美浜独特の風情とじかに触れ合える気がします。城下町だと先に知ってしまうと、「城下町のわりには・・・」などといった余計な感じ方が先行しがちです。
豪商稲葉本家の土塀。この写真を撮っていたら、学校帰りの中学生から「こんにちわ」の挨拶。こちらも「こんにちわ」と返したら、「いい写真撮れましたか?」と中学生。こんにちわだけで終わらないプラスα。私も営業マンのはしくれならこうありたいものです。
久美浜の町並みというと、まっすぐで直角に交わる路地の数々、そして町屋風ながらも三階建ての家屋。より空に近い高さで肩を寄せ合う屋根を見るのも風情ですし、なんでここまで直線かと首をかしげたくなる路地を歩くのも風情です。城下町だと知らないほうが直線の路地の不思議さも増します。
夕暮れ時の時間帯が長くなる6月、久美浜の町並みを歩くことがあります。ただぶらぶらと、歩きたいから歩くだけ。久美浜ってきれいな名前ねと言ったのは誰だったか・・・
久美谷川にかかる新橋。ここから久美浜湾までは200m程度。川のまっすぐな流れも城下町時代の普請だそうです。
こちらは栃谷川。こんなに大きな家屋が川沿いに建っています。久美谷川から栃谷川のあたりは土居、仲、十楽と呼ばれる区域で、昔は商業で栄えたそうです。
町並みから外れた途端に栃谷川はこのような風景。
KTRが渡ります。
いまは営業してなさそうな旅館。3階建て。営業しているのなら泊まってみたい。お化けくらい出るかな?
「あったり、なかったり」がキャッチフレーズの勢野うどん。残念、火曜日は定休日でした。
由来を聞くまで「?」なのが、この看板だらけの家。
近寄って看板をひとつずつ見ていきますと・・・
このお宅はなんでしょうか?と、お孫さんと散歩中の女性に尋ねました。かつては病院だったそうです。その病院からこれら看板に書かれたような珍品が発見されたそうです。たしかに家の造りはただの民家ではなさそう。いまもこちらの家系はお医者さんだそうですが、当代のご子息は京都市かどこかにおられるそうです。
この写真、石碑をよくごらんください。
久美濱縣立久美濱縣小学校発祥の地、です。実は久美濱縣というのが過去には実在し、現在の久美浜町がその中心だったといいます。
Wikipediaによりますと、「久美浜県(くみはまけん)は、1868年(慶応4年)に設置された県。1871年(明治4年)、豊岡県に統合され消滅した。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄した」ということになっています。現在の京都府、兵庫県の県境をまたいだ管轄だったわけです。
久美浜までやってきますとなにかすでに丹後ではないような軽やかさを感じるのですが、外に向かって開いたというのか、兵庫県との境を感じさせない空気がいまもあります。
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