「おたく、市役所の人?」と言いながら私に近づいてきました。
「いえ、違いますけど」と答える私にはおかまいなく、ムッシュは話を続けます。
市役所はもう終わっちゃったのかねえ。
あのさあ、海のそばの公園あるでしょ。あそこさあ、草ぼうぼうじゃない。市がほうりっぱなしだね。
いや、業者に任せてるんだと思うんだけどさ、あれはなにもやってないね。
だからさあ、俺、言ってやろうと思ってさあ。
俺に草むしりやらせろよって。1日9000円でさあ。
いや、そんなもんなんだよ、市が業者にやらせる値段は。だいたいの市が9000円なんだよ。
だってさあ、任せた業者がなにもやってないわけだろ。それなら俺にやらせたほうがいいじゃない。そう思わない?
ムッシュは北海道の出身です。自衛隊に入っていました。なぜホームレスになったのか、初対面ゆえに聞くのがはばかられました。
青森県の弘前から山口県の下関まで行くところだといいます。その途中で宮津に立ち寄りました。
下関まで行ったら、そのあとは?
また弘前だよ。往復だよ。
ほんまに?
そうだよ、もう14年もやってるんだよ。
弘前市で買った自転車が18000円。それが14年前のこと。その自転車をこぎながら、いまもまだ弘前と下関の間を往復を続けています。ただただ往復。往復だけが人生さみたいな日々を送ってきました。
ムッシュのそうした身の上がわかったのは、話し始めて30分くらいたってから。それまではいったい誰なのか見当もつきませんでした。
宮津には奇人がいると、リキから聞いていました。ひょっとしたらその奇人かもしれないと想定していました。
奇人のひとりは、インテルナなかむらの交差点を匍匐前進で渡る男。
歩行者用の信号が赤のうちは歩道に置かれたプランターの小さな茂みの陰にしゃがみこんでいる。青になったら匍匐前進で横断するというのです。
もうひとりは島崎公園に住む浮浪者。
あちこちで拾い集めた材料で小屋をこしらえているばかりか、ペダルをこいで身体を鍛えるエクササイズマシンまで作った男だそうです。そのエクササイズマシンをリキに自慢しながら、「このマシンで俺と勝負するか」と言い出すそうです。
ムッシュと話し始めたときは、このうちの一人についに出会うことができたかと心踊る思いでした。しかし、どうもそうではないらしい。というのも話がすべて理にかなっていたからです。
今日はみっつのお寺で草むしりをさせてもらったとムッシュ。
宮津市の金屋谷・小川地区は通称寺町と呼ばれ、このあたりにはお寺が集まっています。その寺町がムッシュのターゲットです。こんにちわと寺を訪ね、草むしりを任せてもらえませんかと自分のほうから持ちかけるのです。ムッシュはこれを「営業活動」と言います。
長旅の途上、どの町に立ち寄れば寺が多いのかはもうよくわかっています。寺の多い町ごとに滞在しながら草むしりで現金を稼ぐ。次の町までの旅費が貯まったら自転車をこぎ始めてその町を離れる。
でも、決して自分からお金の話はしないそうです。理由はふたつあります。
ひとつは、言い方を間違えると脅迫行為にとられかねないこと。
もうひとつは、自分から金額を提示するよりも寺任せにしたほうがだいたいは多くもらえること。
そういえばビビアンも言ってました。PTAなどで付き合ってるとお寺の奥さんはだいたいが太っ腹だと。ビビアンの分析によりますと、施しの感覚が身についているからではないかということです。
ムッシュが草むしりを始めて3時間ほどたつと、お寺の奥さんが声をかけにきます。
旅人さん、旅人さん、お茶になさいませんか。旅人さんは缶コーヒーはお好きですか。お菓子でも召し上がりませんか。
ちょっと待てェですよね。「旅人さん、旅人さん」なんて呼びかけ、本当にあるのかどうか。でも、これが本当だったらなかなかいいなと、そんな気持ちで私はいました。
お茶にしませんかと旅人さんに声をかけた時点で、お寺の奥さんはお金を用意しています。
ま、5千円だね、3時間で。
今日もそうだったよ。みっつめの寺は時間が短くてそこまでもらえなかったけどさあ。1万円とちょっとにはなったからね。
他のところはどれくらいもらえるの?って尋ねる寺もあるよ。自分ところがケチって思われたくないじゃない。よその寺で尋ねられたら、あそこはおいくらでしたって、俺が言っちゃうからね。
まあ、なかには朝の9時から5時までやって5千円って寺もあるよ。どこの寺ってことはいわないけどさあ、宮津じゃないよ。
さっきからムッシュは酒臭い。そうか、今日の報酬ですでにイッパイひっかけたのか。
だから口もよく回ります。
本名まで聞いたし、写真も撮らせてもらいました。しかし、それを公表するとムッシュが暮らしにくくなります。ムッシュというのは、それでも本名に近い。
シルバー人材に頼むよりよほど俺のほうがきちんと草むしりをするとムッシュは言ってはばかりません。
問題は仕事だろ、ホームレスかシルバーかじゃないわけだよホームレスだと先にわかってしまえば、それだけでお寺からことわられるかもしれません。ホームレスとはいえ信用第一なんです。おさちゅんブログが写真や本名を出してしまうと、ムッシュの素性が知れ渡ります。
俺がちゃんとやると、また別のお寺に電話してくれるんだよ。こんな人がいて草むしりをしてくれた、きれいになって気持ちがいいってね。
お寺どうしは、宗派数が同じだとけっこう仲がいいんだよ。同じ宗派数の仲間に電話してくれるわけ。今日も電話してもらえたから、明日の仕事はもう入ってるよ。
(ムッシュ、宗派数って、ラジオじゃないんだから。普通は宗派だけでいいんだけど)
私は知りませんでしたが、市役所にはホームレスを助ける仕組みが用意されてるんですね。
たとえば宮津市ですと、頼ってきたホームレスに豊岡までの切符と現金300円をくれるそうです。とはいえ、ムッシュがもらえるのは現金300円だけ。何度も宮津に立ち寄っているムッシュは市役所の職員にすっかり存在を知られる有名ホームレスとなってしまいました。「あんた自転車があるから切符要らないだろ」といわれるそうです。
このあたりだと、綾部の市役所はすごいね。
現金で2000円くれるからね。
そのかわり警察の証明がないとだめ。同じ奴が何回ももらいに行けないんだよ。
綾部はいいよ、タオルくださいとか、ソックスがないんですとか、そっちもくれるからね。
それに比べると福知山はケチだねえ。
福知山の市長さん、ホームレスからケチだと言われてますよ。
いや、しかし、ムッシュの話をどこで終わればいいのやら。なにせ1時間くらい話し込みました。
旅人ムッシュはどこかで野垂れ死にするに違いありません。寺の草むしりをやってるからお経くらいは上げてもらえるでしょう。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
松尾芭蕉、奥の細道。つとに有名なこの序文。
高校の古文で習って以来忘れたことがありません。「古人も多く旅に死せるあり」の古人はとくに西行のことだと、松山先生という古文教師が力説していました。
と、私はムッシュに話しました。ホームレス相手にそんな話をすることになるとは思いもよりませんでした。
ムッシュは答に困ったのか、「で、あんたはどこから旅に来たの?」という質問。いや、私はホームレスじゃないわけで。
そうかあ、だからネクタイしてるんだな。
俺だって草むしりの営業行くときはもうちょっとこざっぱりとしたかっこうで行くからな。
見かけはだいじだよ。
ま、そういうことかもしれません。
ムッシュがポケットからワンカップ大関を取り出しました。今日は稼げたし明日の仕事もすでに決まってるから今夜は2本飲めるといいます。
飲めるムッシュも幸せでしょうが、旅人を癒すワンカップ大関も幸せな奴です。大金持ちに飲まれるロマネコンティよりも幸せな奴でしょうね。
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