気をつけて うなぎのような道だから
とても実感がこもった交通標語。
見たまま、感じたまま。それだけでここまでの訴求力。
これを作った人がいちばん気をつけていそうではないか。
その交通標語につい心奪われて、うなぎのような道を行ってみた。すぐに小さな橋があった。橋に立って両側を見れば、水路の際まで民家がびっしりと建ち並んでいた。
私が何も知らなかっただけで、そこが水路の風景で知られた吉原だった。
これがその風景だ。
まもなく春が来ると思った。
春めく風景を眺めつつ、ひとりのご老人のことを思った。
そのご老人は、来る春を待たずして往こうとしている。
ご老人はかねてより衰弱気味ではあったが、寿命を感じさせるような兆候はなかった。正月明けにぐずぐず言い出して、それは風邪だと診断された。しかし、症状が大きく悪化し、1月13日に緊急入院。そこからわずか23日めの2月4日、主治医からご家族へ実質的な最後通告が伝えられた。老人の病は足が速い。
私は、そのご老人とは一面識もない。肉親の方々をよく存じ上げている。
「3月になれば喜寿の誕生日なんですけど」と娘さんが主治医に話した。主治医は首をかしげたまま何も答えなかった。
身内の方々は一日でも長くと祈りながらも、かたや覚悟を余儀なくされる。恋人を駅で見送る。発車のベルが鳴り終えたのになかなか出ない電車。それにも似ている。時間がかかるのならもう一度ドアを開けてくれという思いを運転手は知らない。そのいっぽうで、ご老人名義の定期預金を解約するなど、死を100%信じたからこその努力も生じる。
福知山市民病院で仕事があった日に、そのご老人の病室の外に立った。開け放たれたドアの内側にご家族の姿はなかった。わずかに見えるベッドに目礼だけを捧げてきた。
おりしも、私の父が、おまえに葬式の段取りを話しておきたいと言い出した。うちの父親はべつに致命的な病気を抱えているわけでもないし、葬式の段取りならばもう何度も聞いている。段取りにまた予定変更でもあったのだろうか。何枚ものメモを用意して私を待っているに違いない。
いつもなら面倒くさい気持ちだけが前に出るが、今回ばかりは神妙な気分になっている。ご老人のご家族のおかげでというのかどうか、父親を見送ることの難しさを目の当たりにしているからだろう。
2月12日に父のところを訪ねる予定だ。葬式の段取りをしっかり聞いてこよう。
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