2012-11-16

のぼうの城を観てきました 作品に深さはないです

のぼうの城

写真は「MOVIE ENTER!」(http://news.livedoor.com/article/detail/5100691/)から転載

 「のぼうの城」を観てきました。

 私は60歳になったから、映画館はいつも千円です。
 そのアドバンテージを生かしたらどうか、映画を見るたびにブログのネタにしたらどうか。そんなアドバイスをくれた人がいます。その方のご意見に従うことにしました。

 

主役成田長親(のぼう様)には野村萬斎

 キャストは次のようになっています。

【忍城側の人物 豊臣方2万の軍にわずか500騎で対抗する】

 成田長親 野村萬斎
 甲斐姫 榮倉奈々
 酒巻靭負 成宮寛貴
 柴崎泉水守 山口智充
 正木丹波守利英 佐藤浩市

【豊臣側の人物 圧倒的な軍事力と経済力で忍城を水攻めする】

 石田三成 上地雄輔
 大谷吉継 山田孝之
 長束正家 平岳大
 豊臣秀吉 市村正親


武将たちが利と保身に走った戦国時代、バカを貫いた二人の武将

 天下統一を目指す豊臣秀吉にとって、最後の敵は小田原に本拠を置く北条氏でした。関東各地には北条氏に与する武将たちが各々の城を構えていました。

 秀吉は、自軍の有力武将たちを振り分けて北条方の城を攻めます。天下軍の軍事力の前に北条方の城という城がすべからく落城するなか、ただひとつ忍城(おしじょう)だけが落城しませんでした。忍城は武州、現在の埼玉県行田市にあった城です。

 忍城の攻略を任されたのは石田光成でした。
 忍城側の総大将は、野村萬斎が演じる成田長親です。
 成田長親はそもそも戦嫌いでしたが、ことのなりゆきで総大将に押し上げられてしまいました。

 彼は武功や軍略に熱心な当時の武将像からはほど遠い侍でした。「でくのぼう」の「でく」を略して「のぼう様」と呼ばれていました。
 その反面、人間味あふれる人柄ゆえに人気が高く、領民をはじめみんなの心を捉えて離さぬ人物でした。

 領主である成田氏長(西村雅彦)は、戦うことなく城を明け渡し豊臣方に寝返る方針でした。重臣もそのつもりでいました。戦う前から負けが見えていたからです。

 しかし、力だけで人を屈服させようとする豊臣側の非人間的なやり方に反発した成田長親は、「のぼう様」らしからぬ決断を下します。

 戦いまする。

 成田長親の宣戦布告を知った石田光成は、自らは豊臣方のなかにありながらも、敵将の潔さにむしろ感服します。
 というのも、たいがいの武将は秀吉の勢力にいともたやすく屈し、豊臣方に寝返ってきました。主義主張をもたず所領の安堵を願い出るばかりの打算的な武将を見てきました。石田光成はそんな世の中に嫌気が差し、人間不信に陥っていました。
 そんななか、利に走らない武将が目前にいたこと、そんな見上げた武将と戦えることを石田光成は喜んだのです。

 忍城側は自らの数的不利を認識しながらも士気が高く、豊臣方の楽観を覆すほどの手強い相手でした。そこで石田光成は、大がかりな水攻めで忍城を落としにかかります。利根川と荒川に挟まれた忍城の弱点をついた形です。

 苫小牧の広大な土地にロケ地を求めたという水攻めシーンは、大震災の津波を再現したかのような光景です。したがって、本作の完成が2010年であったにもかかわらず、昨年公開予定が今年まで引き延ばされていました。

 その水攻めに忍城がいかに耐え続けたのか。「のぼう様」である成田長親がどのような策を用いて落城を免れたのか。
 これが「のぼうの城」で描かれています。

 成田長親の魂に敬服する人格で描かれている石田光成は、後に関ヶ原という無謀な戦を徳川方に仕掛けました。
 「のぼうの城」は、成田長親と石田三成という稀有なバカふたりの生き方を肯定的にとらえた作品でもあります。


佐藤浩一さん、もっと聞き取りやすくしゃべってよ

 何よりも困ったのは、正木丹波守利英を演じる佐藤浩市のセリフが聞き取りにくいことでした。

 正木丹波守利英は成田長親の竹馬の友です。友情にあふれ、かつ最善の理解者という役柄ですから大切なセリフも多い。
 にもかかわらず、そのセリフが聞き取りにくいのです。

 大きな声で感情を高ぶらせながら口走る言葉などがとくに聞き取りにくいのにはまいりました。トヨタマークXのCMじゃないんだからさあ。大声で話す状況ではバックに効果音がありますから、余計にわかりにくくなります。

 佐藤浩一のセリフが状況説明を兼ねる部分が映画前半に頻出するだけに、そのセリフが不明瞭だと観客はストーリーに入っていきにくいでしょう。よくまああれで監督がOKを出したものです。

 柴崎和泉守のぐっさん(山口智充)もセリフが不明瞭でした。
 テレビに出ていても唇だけでベチャベチャと音を発しているようなところがありますからね。それに顔で演技するほうですし。

 けれども、いま思うに、それでもかまわない作品でした。
 戦国ものといいますと、登場人物の立場関係や腹の中をしっかり把握しないことには全体を理解できないという先入観があります。
 でも、見終わってみれば、そこまで人を描いていないから心配御無用だったのです。

 甲斐姫役の榮倉奈々は、セリフが不明瞭ではないけれども、武家の娘を演じながら口調はバラエティー番組並みでした。これでいいのかな?と観ているこちらが気にかけてしまうほどです。

 でも、それは、榮倉奈々の演技力不足・監督の演技指導不足というよりも意図的なものでしょう。委細不問でいまの時代のありふれた女性みたいにしておこうという狙いだったのだと思います。所作も現代風で統一されています。
 ただし、榮倉奈々では大役を演じきれないと現場が諦めた結果の苦肉の策ならば、これはよくないことです。

 そんな配役構成のなか、野村萬斎が、能楽師独特の所作や発声で主人公を演じます。

 この演出は、主人公がただひとり芝居じみていることから生じるなんともいえない味わいを狙ったものだと解釈します。その味わいを通して「のぼう様」が描けると踏んだんでしょうね。

 その味わいを楽しめるか、それとも不自然さを感じてしまうか。
 他の観客の様子を観察しながら、人それぞれなんだと思いました。
 

歴史オタク、うるさ型のあなたならやめておいたほうがいい

 「のぼうの城」の原作は、ご承知の通り同名小説「のぼうの城(作者:和田竜、発行:小学館)」です。

 なんと、原作は、映画封切効果によって上・下巻合わせての売り上げ部数が100万部を超えるに至り、いまベストセラーになっています。
 映画自体も初登場で興行成績首位を獲得、公開初日から3日間の観客動員数が40万9,352人、興業収入は5億490万1,150円という好調さです。

 ただし、原作の小説は、娯楽色を目指した歴史小説の常ではありますが、歴史オタクやうるさ型の読者から容赦なき批判を浴びています。Amazonの書評を見ますと、「こんな小説がベストセラーになるのでは歴史小説読者のレベルも落ちたものだ」と言わんばかりの批判すらあります。

 もちろん、ベストセラーですから、「おもしろかった」という意見も多く寄せられています。「歴史小説初心者向けなんだから深く考えないで楽しめばいい」という趣旨の書評も見られます。

 映画はその原作、チャラさが持ち味の原作に従って作られたものですから、手応えを求めては間違いだと思います。そもそも、原作小説や映画の宣伝を見れば商売上手のほどは読み取れるというものです。

私はミーハーだからとにかく観ておきたかった

 滋賀県の近江鉄道は、「のぼうの城」の広告画で車両全体をラッピングしながら、かつては戦国だった近江を走っています。
 おもしろそうな映画だなと思って電車を眺めていました。

 金沢へ向かう高速道路の賤ヶ岳サービスエリアのレストランでは、映画公開を記念して「三成メニュー」というのが登場しています。
 「三成メニュー」をブログのネタにさせてもらおうとしましたが、いやいや食べるのは映画を見てからにしようと思い直しました。
 ミーハーはミーハーなりに自らの体験に基づいた自らの言葉で語らなくてはなりません。「三成メニュー」だけを文章や写真にするのではなくて、そこに肉づけをするために足で稼がなくちゃなりません。

 「のぼうの城」の年齢別集客率が、50代24.5パーセント、40代22.9パーセント、60代以上16.5パーセント、30代16パーセント、20代が14.4パーセントとなっています。

 なにやらテレビドラマを好む年齢層と重複している様相です。
 私の場合も、おなじみの俳優が出ているから観たくなりました。
 それぞれの演技力を見定めることができたと思います。
 酒巻靭負役の成宮寛貴がよかったなあ。
 
 ただし、同じテレビドラマ好きでも、大河ドラマの江はイマイチやった、平清盛も段々しょうもない感じになってきたなあと嘆いている人は、「のぼうの城」にも批判的だろうと思います。

 そのふたつの大河ドラマとよく似た落胆があるからです。

 たとえば、「のぼう様」とまで称される成田長親が総大将に押し上げられる場面などです。
 リーダーの一般的な資質からいえば正木丹波守利英がはるかに上で、彼に戦を任せるべきだと城内の誰もが思っています。また、正木丹波守利英自身にも自負や功名心はあります。
 ところが、その正木丹波守利英が成田長親を総大将に推挙し、それに誰も異を唱えることなく大事な結論が2~3秒で決まってしまいます。成田長親が総大将の責任を嫌がることもありません。

 大河ドラマの江や平清盛にも、こうしたご都合主義が見られます。

 そうでもしなければ話が進まないと割り切れるタイプの観客か、それでは話にならないとこだわりを引きずってしまうタイプの観客か。

 引きずってしまうタイプですと、小さな欲求不満が積み重なっていきますから、見終わる頃には「ダメな映画」という評価になっていると思います。

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