La Bettola。正しくはLa Bettola da Ochiai。
イタリアンのあのカリスマ、落合努シェフの店です。
銀座本店は日本一予約の取れないイタリアンレストランといわれています。評判をご存知の方も多いでしょう。
La Bettolaには本店を含めて5つの店舗があります。
そのなかのひとつが、なんと富山市にあります。
耳を疑うかもしれません。でも、富山市なんです。
「仕事学のすすめ」で知った富山店
11月のNHKのEテレ「仕事学のすすめ」が落合努シェフを取り上げています。全4回のうち第2回目までが終わりました。
番組のホームページは、落合シェフを取り上げた趣旨を以下のように説明しています。
日本に「イタメシブーム」を巻き起こした立役者であり、イタリアンの第一人者としてメディアでも引っ張りだこの落合務さん(65歳)。
オーナーシェフを務める銀座のレストランは「日本一予約がとりにくい店」と評判だ。店のスタイルは、ディナーで3990円のプリフィクス。前菜、パスタ、メインを60種類以上のメニューから、何を選んでも追加料金は一切なし。イタリア料理の伝統を大事にしつつ、季節の食材をふんだんに取り入れた料理は、根強いリピーターを生んできた。
7月富山にオープンしたばかりの新店を含め5店舗を展開する経営者でもある落合さん。人生を変えた料理や店の看板料理を披露しながら、その料理哲学や経営術、人材育成術を語る。
第1回目の放送で落合さんは、「いつ来てもおいしいと言ってもらおうと思えば、料理の味をゆるやかな右肩上がりで変えていかなくてはならない」と言っていました。
第2回目では、「店のファンを作れ。ファンが店を守ってくれる」と言っていました。
その第2回目のなか、富山に店を出したことが紹介されました。銀座店で12年間にわたって落合さんに鍛えられたシェフが富山に配されています。
請われて富山県に店を出す
なんで富山に?という疑問は当然のことでしょう。
人口を考えればターゲットにすべき地方都市は他にいくらでもあります。北陸だけを考えても、食文化の高さからいえば金沢のほうが商売も楽しいと思います。
テレビで落合さんが話していたのは、店自身が富山という立地を選んだわけではなくて、ぜひ来てくれと富山県から請われた結果だそうです。
富山店は、「高志の国文学館」のなかにあります。
「高志の国文学館」は今年7月6日に開館したばかりです。落合さんをどうしても獲得したかった富山県が用意したのは、美しい庭園に隣接するロケーションでした。
「高志の国文学館」があるのは元県知事公館だった場所です。閑静な住宅街に面し、富山中部高校、富山教育文化会館がすぐそばにあって、町全体が健全な富山市の中でもとりわけ健全なエリアです。午後6時ともなれば歩く人の姿がほとんどありません。
コースは前菜+パスタ+メイン 一生かけても制覇できない組み合わせ数
La Bettolaの富山店の場合、ディナーの時間帯は3990円と2520円、ふたつのコースからどちらかをお選び下さいとのことでした。ランチタイムは予算別にもっと細かく分かれています。
私は3990円コースにしました。
前菜、パスタ、メインの3品構成です。
その3品それぞれについて、選択できる献立がいくつもいくつも用意されています。
たとえば前菜ですと、A4版片面の上から下まで選択できる献立が並んでいるのに加えて、本日のおすすめ数種類がさらに用意されています。
パスタ、メインもこの方式です。本日のおすすめがどんどん変わっていきますから、一生かかっても制覇できない組み合わせ数です。
下は店内写真です。公共の会館に付属するレストランというのは、建材のテクスチャーに乏しく、どうしても無機質な印象になりがちです。
レストランらしいぬくもりの点で富山のLa Bettoraはぎりぎりセーフといったところでしょうか。
それでもなお、このような直線基調のすっきりしすぎたインテリアはイタリアン料理に不似合いだと思います。テーブル配置などにも何か無理を感じます。シェフの職人技を楽しむ雰囲気に欠けます。
「仕事学のすすめ」で落合さんのポリシーを聞いていますと、こういう雰囲気の店舗はむしろ避けたかったのではないかと思えます。
パスタ:海老、トマト、ルッコラのガーリックオイルソース
このガーリックオイルにまず感嘆しました。
ニンニクの焦げ臭さをわざとつけています。しかもその焦げ臭さをちょうどいいところで止めてあります。どんな風にして止めたのでしょう。きっと秒単位の勝負です。
パスタを作る人なら誰でもご承知のように、オリーブオイルが冷たい状態でニンニクを入れて弱火を維持しながら徐々に熱していきます。
そのような時間のかけ方はニンニクを焦がしてしまわないためなのですが、その掟をプロの技で破ればこれだけ個性的な味になるもんなんですね。本当に感心しました。
そして、ルッコラの独特な移り香。あたかもパフュームのように全体を包みこんでいます。
店のスタッフにそのことを話しかけたら、「絶妙でしたか」と喜んでいました。
まさか、ニンニクを焦がしてしまった失敗をいいほうに解釈してもらえて喜んだんじゃないですよね。
皿に残ったソースの甘みがおいしくて、トスカーナブレッドでふき取りながら最後まで味わいました。
前菜:本日のおすすめ 戻りガツオのグリル
書く順番がパスタと相前後しました。
おお、これは東京だ!と思える飾り付けです。
グリルというものの、カツオへの火入れはたたきの状態です。
たたきといえば少し固めの食感を思い浮かべますが、和食で食べるたたきよりもまだ柔らかい仕上がりです。
味付けと火入れをきちんと施しながら刺身のような柔らかさを保つ。いったいどう調理してあるんでしょうね。
左側のカツオには、パリっと揚げた香草がのっています。右のカツオにはドレッシングのかかった野菜サラダがのっています。皿の上のソースが見た目の美しさと同時に味つけのアクセントにも貢献しています。
カツオと野菜を別々に食べてもおいしかったし、一緒に食べればそれもまたおいしかったし、ソースとドレッシングが混じってしまってもおいしかったし。
どう食べようがおいしくなるように計算してあるのだと思いました。ここまでの味付けですから、鍛錬と修養と苦心が細部に宿っています。
肉料理:丹波鹿の煮込み
これも飾り付けが楽しいですね。
長いのはゴボウです。
黄色いのはポレンタですと説明を受けた気がするのですが、トウモロコシ粉でこしらえたものだということでした。
赤いのはトマトです。
その他に、小さなタマネギを皮付きで焼き上げたものと、酸っぱく味付けた野菜に帯状の焼きネギを巻きつけたもの。
けれども、私は、さほどおいしいと思いませんでした。
たしかに個性的な味わいで、決して手抜きではありません。むしろ手数はかけてあります。けれども、懐石風に過ぎるというのか、味付けを引き算しすぎたというのか・・・どういう味にしたかったのか解釈に困りました。
もっとインパクトとメッセージに満ちた味、輪郭のくっきりした味がいいと思いました。
3種類のパンが出てきた
フォカッチャ、チャバタ、トスカーナ。3種類のパンが出てきました。おかわり自由です。
料理のボリュームが見た目以上ですので、パンをたくさん食べることはできませんでした。
それぞれのパンの持ち味についてちゃんと説明してもらったのですが、きれいさっぱり忘れました。
どれもおいしいパンでした。とりわけフォカッチャのフックラ感、シットリ感が印象に残りました。
ドルチェ:リコッタチーズのタルト(コースとは別の注文)
リコッタチーズを使ったタルトが本日のおすすめのなかにありました。 リコッタならば乳脂肪分も多くなくてさっぱりしているだろうと思いました。予測どおりにサッパリと後味のいいタルトでした。しつこさがまったくありません。
とっくにおなかいっぱいになっていたのに、ほろ苦いコーヒーとの相性がいいドルチェなのであっという間に食べてしまいました。
東京の銀座店は、落合さん自身がシェフだということもありますし、行ってみたい人の母数が上京客までを含めて大きく、その結果として日本一予約がとりにくいレストランといわれるに至ったのでしょう。
富山店の場合はそこまでではありません。私は金曜日の5時に電話しました。銀座ほどではないにせよ予約はとりにくいはずだと思い込んでいました。
ところが、次回富山に来たときの予約を入れるつもりだったのに、当日6時からの席をすんなり取ることができました。
店で聞いたら、たまたまキャンセルが出たばかりのところへ私の電話が入ったとのことでした。
開店直後の6時にはガラガラだった店内に、6時30分くらいから次から次へと客が現れ始めました。この夜は20人ほどの団体客が全36席の半分以上を埋めました。金曜の夜に団体予約を受けられるくらいですから、普段から個人客による混み具合はそれほどでもないのだろうと類推してもいいのじゃないでしょうか。
店長はじめスタッフのみなさんと話しました。フレンドリーなスタッフぞろいで、テレビで見る落合さんのざっくばらんな人柄をそのまま受け継いでいるようでした。
味の面でも人の面でも、なんだかまた行ってみたくなってしまうレストランでした。
ただし、店のよさとは裏腹に、高志の国文学館に併設されていわば官立レストランであるところが残念です。閉館後の会館は防犯第一ですから、公共施設独特のわびしさ。人を寄せ付ける温かさが消えています。閉館後の会館の都合にいやでも店や客が巻き込まれます。
ホスピタリティーやエンジョイという言葉からはほど遠いものがあります。
店の母体や周辺環境があの雰囲気では「さあ、食うぞ」の気勢をそがれてしまいます。富山市の人の場合、夜というのは時間があのような地味さと共に過ぎていくのが当たり前なのかもしれませんが、私にはつまらないシチュエーションでした。
高志の国文学館というのがいまいちコンセプトのわかりにくいl公共施設ですし、なんでそこが落合さんの店を欲しがったのか、それもわかりません。こんなしょうもない閑静な(官製な)環境下にあの落合さんがわざわざ店を出さなくてもいいのにという気分でした。
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