カメラを持てばそれだけで芸術家。
最高潮を迎えた紅葉に快晴の一日が重なればここまで美しいのか。
そんなみごとな紅葉を、胡宮神社(こみやじんじゃ)で堪能しました。
家にいてはもったいない晴れ方でした。
行き先は青空かといわんばかりの名神高速道路。
ともかく走ろう。紅葉が立派なのに人の少ないところを目指そう。
ただそれだけが目的のドライブでした。
滋賀県の琵琶湖よりも東側、いわゆる湖東には、紅葉の名所が5箇所あります。
まず、永源寺。湖東三山として知られる百済寺、金剛輪寺、西明寺。そして、胡宮神社です。いずれの名所もいまが見頃。この3連休を過ぎたらあとは落葉の一途です。
永源寺が混み合っているのは予測するまでもありません。2km手前くらいからの駐車場待ち渋滞が常です。
それに比べると湖東三山の各寺院はよほど空いていますが、狭い場所に人が寄り合って開放感がいまいち小さい。
となれば、いちばんの候補になるのが胡宮神社でした。
この故宮神社にも最高潮の季節だけあってカメラマンの姿が目立ちました。徒党を組んで三脚立ててという姿、私は好きになれませんねえ。
写真が好きなのか、団体行動が好きなのか・・・
胡宮神社は、名神高速道路多賀サービスエリア(下り線)に隣接しています。サービスエリアから遊歩道がつけられているくらいの至近距離です。その遊歩道を使って観光バス単位で人が上がってきます。
胡宮神社は、かつて敏満寺の鎮守社でした。
その敏満寺は相当な規模を有する中世の名刹(9世紀末~10世紀初頭の開山)だったようですが、1562年に浅井長政、1572年には織田信長と、2度の焼き討ちに遭って全焼失してしまいました。それ以来、鎮守社である胡宮神社だけが、敏満寺という地名の在郷に残った形です。
鳥居をくぐり、参道の石段を行くだけでも、すでに紅葉の力感に言葉を失うほどでした。
あの力感はどうしたことかといまよく考えてみて、分かりました。木の背丈が高いのです。京都の名所のように成長を抑制された木々ではありません。好きなだけ伸びろと、木々の意志に何もかもが委ねられていますから、秋が深まっての色づき方もそれだけ自由奔放だということでしょう。
人の管理を禁じた木。つまり御神木。神社につきものの鎮守の森が色づいているのです。私が目にしているのは、季節による庭木の変化ではなくて、秋の深まりとともに進行する植物の生態です。
おとうさん、晴れるかどうかでこれだけ違うのねえと、妻お龍がしきりに感激しています。
光やなあ、要するにステンドグラスやなあと、私もこの幸運に感謝の気持ちを表したくてなりません。
地面が赤いの? 空気が赤いの?
お龍が指差す方向は落ち葉の広がる地面でした。
両方とも赤いのとちがうか? 写真にしてみたらわかるやろ。
そう言いながら写してみたら、地面近くの空気をほのかな赤色灯で照らすかのごとくに、落ち葉が色を発していました。
多賀大社では七五三の親子連れをよく見かけました。七五三の収益はブランド力のある神社に任せて、胡宮神社は地域密着型の存在意義を発揮しています。
ごくありきたりの日曜日のように遊ぶ親子連れの向こう側に敏満寺の集落が見えました。
このなんでもない景色も浅井長政や織田信長に絡む史実の場なのかと思えば、いまさらながらに近江の紆余曲折を知る思いです。
そんな近江の現在は、炭酸飲料生産額で日本一。図書館から借りる本の数がひとりあたり9.31冊で日本一。なべ・やかんへの消費支出額が3516円で日本一。
男性の平均寿命の伸び率日本一。老人ホーム数ケツから5番目。あかんやないかい!
でも、実際は、老人ホーム数は一概にあかんこともないのです。老人男性の寿命が本当に伸びているのではないからです。
滋賀県は若い人の流入人口が増えてます。大学生もそうですし、京阪神への通勤者も。
平均寿命は統計的事実にすぎませんから、若い人が増えた分だけ見かけ上の平均寿命は伸びます。
地元の女性が柚子を売っていました。ひと袋200円です。
サービスで温かい柚子茶を飲ませてくれます。柚子を買わなくても、温まりますからと飲ませてくれます。
あら、さっぱりしていますねとお龍。
柚子をハチミツに漬けただけで煮ていないのだそうです。すぐに飲むことがわかっているのならこのほうが苦くなくていいとのことでした。
紅葉の真っ盛りが柚子の走りと季節で一致するのを思い出しました。
私は、その近くにあったカエデの輝き方に気をとられていました。
よほどフォトジェニックな木なのか、老夫婦のコンビが三脚を立ててじっくりと写真にしていました。私も真似しました。
ここ2、3年、ともに写真を趣味とする老夫婦をよく見かけるようになったと思います。昔のフィルムとちがってデジタルカメラは、写した結果がすぐにわかります。
納得するまでシャッターを切り直せばいいし、やり直したからといって何かが減るもんでもない。このへんが年配女性にも受け入れやすいところではないのでしょうか。
参道から拝殿、拝殿から大日堂、観音堂、庭園を回って再び参道の入り口へ戻るコースを歩きました。
まだ奥は深そうでしたが、それは来年の宿題としました。
古い神社だけに、朽ち方にも年季が入っています。拝殿の屋根はいまちょうど修理中だったものの、他の建造物は朽ちるに任せられている印象でした。
それはそれで味わい深い光景で、この奔放な紅葉に新しすぎる人工物は不釣合いだとも思いました。
歩く方向が変わるだけで、いまいる高さが変わるだけで、光が変わります。光が変われば紅葉も変わります。
紅葉に覆われた面積が広い。いわば紅葉ドームです。枝と葉に切り取られた隙間に空の青さを見るだけです。
歩く人たちは、誰もがスマホを構えたりデジカメを構えたり。スイッチをオフにする時間がないといった様子です。今頃、家で見直して、もう一度感激し直したり、思ったようにきれいな色で写らなかったことを悔やんだりしているのでしょう。
もうこれで、どこの紅葉を見逃しても悔いはありません。
私のブログを読んでいただいている方は京都府北部にお住まいのケースが多いので、ぜひ胡宮神社をとすすめにくいのが残念なところです。
0 件のコメント:
コメントを投稿