2012-11-06

天王山(京都府大山崎町) 脚を鍛えろ、腹をへこめろ

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 写真は、アサヒビール大山崎山荘美術館です。
 この美術館をはじめ、宝寺、山崎聖天、酒解神社を巡りつつ、天王山頂上(270m)にも登ってきました。

 

丹波につながる天王山
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 天王山の姿を、とくに深く考えることもなしに眺めれば、あたかもそこだけが盛り上がった地形ーーーいわゆる「お山」---であるかの如く目に映ります。自分が平野に立っていることもあり、余計にその印象が強くなります。

 それを見ていただきたくて、淀川河川敷公園の背割堤からの天王山を写してきました。

 ところが、です。天王山と呼ばれる盛り上がりの背後には、それ以上に盛り上がった広い山地が広がっています。

 これを地理的にいえば、天王山は丹波山地の東南端に位置することにになります。丹波山地の東南端の地形があたかも単独峰に見えてしまう。その地形を天王山と呼んでいるわけです。

 丹波山地とは、京都市内から丹波・丹後へ向かうルートを取り囲む山々です。丹波山地が冬の気候を分けます。山の向こうは日本海側気候です。
 丹波山地に接する町の名を見れば、福知"山"であり、篠"山"であり、亀"山"(亀岡の旧名)です。そして、ここが山地の西端だよとでも言いたげに西"脇"があります。

 天下分け目の天王山。1582年6月、天王山の麓、山崎の合戦で明智光秀が豊臣秀吉に敗れました。
 丹波を領地として手に入れ、丹波山地の西北端に位置する福知山に城を築いた光秀が、こともあろうに丹波山地の東南端に位置する天王山で運気を使い果たした。
 その偶然をえらく象徴的に受け止めていますと、歴史秘話ヒストリアまではいかないまでも、歴史暇ヒストリアくらいにはなります。

 ただし、今回の散策は、歴史暇ヒストリアというよりは、脚を鍛え腹をへこませるためのウォーキングでした。
 朝起きたらよく晴れていましたから、ちょっと出かけてみました。


 

アサヒビール大山崎山荘美術館

 JR山崎駅で下りた私は、「何はともあれ」の気持ちでアサヒビール大山崎山荘美術館から散策を始めることにしました。

 この美術館の前身は、実業家加賀正太郎(1888~1954)の別荘でした。加賀正太郎が見晴らし重視で場所を選んだだけに、駅から山荘までの道はひたすら登り坂です。
 地元の人によると、11月20日を過ぎれば登り坂沿いの紅葉が素晴らしいとのことです。いまは、紅葉情報でいうところの「色づき始め」。ところどころの木がところどころ色を変えつつある状態でした。

 駅から山荘まで、無料のシャトルバスが1時間に3本の間隔で走っています。でも、いけません。今日は脚を鍛えるとともに腹をへこませる目的があります。楽したがる気持ちに封印をして歩くことに決めました。

 下の写真は、山荘へと来客を誘うレンガ造りのトンネル。そして、その道筋で見つけた小さな紅葉です。

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 加賀正太郎は実業家で金持ちで、かつハイカラで趣味人でした。資金と感性の融合である彼のプライベート空間が美術館になっているわけですから、当然のことながらそこは世俗を離れた別世界です。

 洋館そのもの、洋館をぐるりと囲む敷地、建物の内部、建物から眺める景色。そのいずれもが絵になります。その環境でモネの「睡蓮」をはじめ、「民藝運動」時代の陶芸品などを鑑賞するとあって、おさちゅんもいつになく神妙な心持ちです。

 ただ、神妙になりすぎました。洋館が2階建てであることをすっかり忘れていました。美術館を出てきて庭園を歩き始めたら、青空に屋根が見えるではありませんか。
 しまったあ。そうやったあ。もう遅い。
 紅葉の盛期めがけてもう一度来ることにしました。




宝積寺(宝寺)


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 宝積寺はアサヒビール大山崎山荘美術館に隣接しています。
 美術館からのショートカットルートを使うと寺の裏側から境内に入っていくことになります。お寺詣りとしてはいまいちですが、正面の仁王門から入ろうとすれば、いったん駅方向に大きく戻り別の坂道を登っていかなくてはなりません。

 古い寺です。
 できてから1300年です。どんだけ古い。
 行基が開いた寺だといいます。奈良時代です。

 歴史の長さを反映して閻魔像をはじめ重要文化財が多く、それらが大切に保管されています。拝観料400円を払えば見ることができますが、私は先を急ぎました。この寺はすでに天王山登山道の一部だからです。


天王山頂上へ

予想以上にキツい山道

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 宝積寺の裏手から登山道を歩き始めた途端にそう思いました。たった1.1kmと思って歩き始めたのに、100mもいかないうちに休みたくなりました。

 天王山の等高線を見ますと、登山道後半よりも前半のほうが密になっています。しかし、等高線の問題だけじゃないことは自分で分かっています。運動不足に起因する体力不足のほうがより問題です。

 山頂はわずか海抜270mであり、登山道の傾斜も距離もいわゆる軽装コースだと案内されています。けれども靴が普通のスニーカーではよくなかったなあと後悔することしきりでした。
 ときとして礫状の石がごろごろしていたり、小岩の先端が顔を出しています。靴底が厚くないとすべて足の裏にきてしまいます。

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秀吉陶板絵図

 途上、見るたびに気に食わなかったのが、「秀吉陶板絵図」の趣向です。天王山登山道を「秀吉の道」と名付け、山頂までの区切りとなる6箇所に陶板絵図が設置してあります。登れば登っただけ陶板絵図の物語が天下とりに近づいていって、山頂の広場までたどり着けば太閤となった秀吉が描かれています。

 明智光秀に心惹かれたのも私が天王山へ登ろうとしたひとつの動機でした。豊臣秀吉賛歌とも呼ぶべきこの陶板絵図に出会うたびに光秀シンパの嫉妬心が騒ぎました。

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旗立ての松(展望台)

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 桂川・宇治川・木津川の3本が合流する地点が見えるという展望台は、別名「旗立ての松」と称ばれています。山崎の合戦時、豊富勢がここに千成瓢箪の旗を立てた---という言い伝えに拠るものです。

 展望台から見渡せば、豊臣秀吉と明智光秀が争った山崎の合戦場です。しかし、合戦の地は、いまや工場、高速道路、鉄道のための平地にすぎません。武将たちを偲ぶ思いでやっと奮い起こした想像力も現実の景色の前には無力です。

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天王山山頂


 展望台から先は道が一気に楽になります。案内板は頂上まで0.5kmだといいますが、その道のりの半分以上が酒解神社への参道です。神社が建てられるくらいだから山の地形がきわめて平坦ということです。

 酒解神社を通過して、そこから少しで天王山の頂上に立ちました。

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 山頂まで登り詰めたのは嬉しいことにちがいありませんが、その忍耐に見合うだけの何かはありません。山崎の合戦に勝利した豊臣秀吉が山頂に山崎城を築いたといいます。その敷地が広場として残っているだけのことでした。

 わずかな展望に向かって腰を下ろすカップル。弁当を広げ始めた家族連れ。ともに登ってきた愛犬をほめる主婦。
 笑顔で過ごす人たちのそばにあって、独りでやってきた私はただ手持ち無沙汰です。

 他にも独りで登ってきた男性がいました。年令は50歳前後でしょうか。その男性が携帯電話で写真を撮っています。カメラがあるだけ私のほうが充実してるかなと、悦に入れたのはそれくらいでした。
 

山崎聖天(観音寺)

 山崎聖天まで下りて、やっと休憩所に出会いました。
 この休憩所には自動販売機もあり、灰皿もあり、助かります。ガラスから斜めに差し込む光が、秋の深まりを語りかけてきます。

 伸び伸びとしたお寺というのも変ですが、なぜかこの寺は癒されます。
 秋の午後を過ごすためにちょうどいい何か、自然体で過ごせる何かがありました。

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 山崎聖天は石垣を築いた敷地に建っています。平地から一気に立ち上がる地形ですから、長い石段が山肌と同じ急角度で下と上を結びます。急角度に伴う日照や植生や地形の効果なのか、石段には風格があります。

 私は山崎聖天が好きになりました。ここの紅葉はぜひとも見たいと思いました。大山崎山荘美術館の2階にも行き損ねたことですし、再来しなくてはなりません。


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お龍にお土産

 山崎駅前に「ホテルデュー大山崎」という宿があります。
 その1階にある「Cafe tabi tabi」でコーヒーを飲み、やはり1階の「Boulangerie Etretat」でパンを買いました。妻お龍へのお土産です。

 せっかく買ったパンでしたが、「Sさんのパンのほうがおいしい」とお龍が言っていました。Sさんというのは、素人ながらも常においしいパンを焼いてくれる人です。
 私も同じ感想でした。たしかにSさんは名人です。

_DSC4255Cafe tabi tabiにて

_DSC4233Boulangerie Etretatの目立つ外観

 

 ホテルデュー大山崎の2階には「Relish」という雑貨店もありました。こちらにも立ち寄ってお土産品を追加。ハンカチを買いました。

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Hotel Dew Oyamazaki

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ホテル2階の雑貨店Relishから駅舎を見る 



大阪府と京都府の境界

 天王山の大山崎は京都府乙訓郡大山崎町です。
 大阪府との境界線がJR山崎駅の敷地内を通っていて、そこから先は大阪府三島郡島本町山崎になります。
 サントリー山崎蒸留所はJR山崎駅から徒歩10分程度のところにありますが、そこは大阪府のほうの山崎です。

 駅から蒸留所方向に歩けば、さすがサントリーの町だという風景も見られます。

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  どこが大阪と京都の境界だろうと思いながら歩きました。

 「離宮八幡宮」という八幡様の森が終わると、そこが境界線でした。

 大阪府側に住んでJR山崎駅を利用する乗客たちは、駅との往復に離宮八幡の裏道を通ります。駅へ向かう人たちが八幡様の裏道へと歩を進めかけるあたり。そこがふたつの府の境目です。
 府境を示す標識のすぐそばの石碑には「従是東山城國」という文字が彫り付けられていました。

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この日のコースです。


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