劇的ビフォーアフターに登場した「だいまるしょうゆ」。
だいまるしょうゆが位置する弥栄町和田野を散策してきました。
あわただしく準備中
だいまるしょうゆは、11月21日オープンに向けて準備期間も最終段階。駐車場は段ボールの看板で対応という急場しのぎ状態です。
この日は京丹後市の職員さんが来ていました。その職員さんに同乗してやってきた男性が、車庫部分を指差しながら、不動産相続の中味をこと細かに質問していました。
みなさんなにやら忙しげでしたので、機をあらためてゆっくり来ることにしました。
かつてはちりめんの町
弥栄町和田野は、かつてちりめん生産で栄えた地区です。その歴史を形だけでも受け継ぐかのように、体験型施設の「ちりめん工房」が建てられています。
だいまるしょうゆの周りを歩いてみて、古くて大きな屋敷が軒を並べる風景に驚きました。蔵も目立ちます。なかには住人が離れた家も混じっていました。
そんななかにあって、劇的ビフォー・アフターで変身を遂げただいまるしょうゆだけが、まるで東映太秦映画村のようです。戻れない一歩を踏み出した感があふれています。
ここも大下倉さん、あれ、こっちも大下倉さんか。
この地区には大下倉(たかくら)姓が固まっています。血縁の度合いはさまざまでしょうが、みな親族なんでしょうね。
誰かが新しい風を吹かせない限り、なにもかもが古そうで、なにも変わりそうになかった弥栄町和田野・・・
だいまるしょうゆの英断で、京丹後市のこの一角がいきなり日本全体に知れ渡りました。
和田野地区全体にとってもえらいビフォーアフターだと思います。
元気なお母さんに出会う
写真を撮りながら歩いていたら、今年で95歳というお母さんに出会いました。
会釈しました。
まるで前からの知り合いだったように世間話が始まりました。
お母さんは、いまもグランドゴルフの現役プレーヤー。少し前には優勝したこともあります。このままいけばあっという間に百歳でしょう。
背丈の小さなお母さんですが、背中も腰もまったく曲がっていません。
重いものを持つと腰が曲がるからやめておけと、子供の頃からずっと言われていたそうです。
子供時代はお父さん、結婚後はだんなさん、いまは息子さん。いちばん身近な男が、このお母さんには重いものを持たさない方針を受け継いできたといいます。
今日はこんな髪で写真はいやだとお母さんはおっしゃっていましたが、一緒に画面に入ってもらいました。
お母さんは「劇的ビフォーアフター」のなかにも登場したそうです。短い時間ですが、番組の最後の部分で、ごはんを食べているところが映ったそうです。
お母さんの畑に隣接して、大きな廃屋がありました。
閉鎖してから長い年月を経た生糸の工場だそうです。
以前は同規模の工場が、1号から4号まで建ち並んでいたそうです。1階が工場、2階は従業員寄宿舎。柿の実のなる空き地にはさらに家屋が建っていたとか。
みんなの着る服が変わってしまってダメになったとお母さんが言っていました。
なかをのぞきますと、天井にはガチャマン機の名残が見られます。 「生糸 天龍社」と印刷された段ボールのなかには家屋の廃材が詰め込まれていました。天龍社という名前の製造所だったのでしょうか。
私の父親はいま90歳で、老健施設か特養老人ホームが空くのを待っているという話をしました。私はそんなところ入りたくないと、お母さんがわがことのように反応しました。
そうなんです、そういうとこに入りたくないという気持ちならば、このお母さんのように身体が達者でなくてはなりません。
別れ際、「おかあさんを、でぇやーじに、でぇやーじに、しとんなっておくれやし」とこのお母さんから言ってもらいました。
私が話したのは父親のことでしたが、お母さんを大切にしてあげてくださいとのお言葉。せっかくそう言ってもらったことですし、ぜひそうします。
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