田舎町にもおいしいランチ。今回は「自由軒」。
自由軒は昭和22年(1947年)生まれ。57歳の私よりも5歳年上だ。駅前商店街と新町商店街をつなぐ道筋に面して、ふたつの商店街の栄枯盛衰を目の当たりにしてきた。
まずはこの動画を見て、いや、聞いていただきたい。店のCDラジカセとそこから流れていた昭和歌謡。三浦洸一(1928年生まれ・東京音大卒)が1957年に歌った「踊子」だ。
あの頃、この歌がラジオから流れていた。いまとなってはもう洋食とは呼ばれないメニューがまだ洋食でありえた時代だ。
カツは家庭料理のひとつだったが、レストランで食べるとデミグラスソースがかかっていた。デミグラスソースが「洋か否か」の生命線だったような記憶がある。
半ズボンをはいてレストランに連れてもらう、お子様用の椅子に座る、コップで水が出てくる、メニューを開いて食べたいものを選ぶ、ナイフやフォークに白い紙が巻いてある。そういうもの全部含めての洋食だった。
今日、私は、それを食べた。記憶に形を変えてしまったはずの洋食なのに、今日、私は、本当にそれを食べた。デミグラスソースのかかったトンカツ。ごはんが皿に盛られて福神漬けがついている。つけあわせのスパゲティが冷たいことまで昔ながらの洋食だ。
私より5歳年上のレストラン。
来る日も来る日もずっと洋食を出し続けてきた。昭和22年が昨日で平成22年が今日であるような気さえする。
注文の品を出し終えた店の人は奥に引っ込んでしまった。 3人か4人がキッチンにいるようだ。でも、誰も出てこない。客は放ったらかしにされている。それが気楽でとても気分よかった。あ、そうか、なるほどそれで自由軒かと、勝手に店の名の由来にしておいた。
【連れは八宝菜と焼き飯を食べた。おばあちゃんに作ってもらった焼き飯の味だと感激していた。八宝菜も中華料理というよりもオカズを作ったといった味で、おいしさがそのまま心にくる】
【ずらりと並んだおかもち(料理を食器ごと出前する際に用いる箱)】
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