2010-10-02

野間 シリーズの2 京丹後市 弥栄町 「もんやこ」

 
 

 ハタケニイマス ケンジ 
 そんな伝言が似合いそうな「もんやこ」。
 古い保育所か小学校をリサイクル利用したもので、いまは野間の外からやってきた人たちが自炊して暮らすための宿泊施設になっている。




 宿泊するのは、主にボランティア活動を展開しているグループだ。残念ながら私はそうした人たちと交流がまったくない。
 
 山仕事や野良仕事を手伝うのは楽しいだろうと思う。しんどいことだろうがその分充実感もあるだろうなと思う。私もやってみたい。

 けれども、それが地域活性化だとかなんとか協力隊だとか、相手の役に立ってますと言いたげな命名になったとき、私はちょっと待ての気持ちになる。
 ボランティアを通じて活性化してるのは自分ではないのか。自分の活性化のために現地の人たちの協力をもらっているのではないのか。
 私は、ヘソ曲がりかもしれない。



 いまの私と同じ歳にガンで亡くなってしまった芦沢一洋さんの著書、『山女魚里の釣り』。
 芦沢さんはあとがきでこう書いている。


 「目礼ひとつ。私の川歩きは、多分それなのだ。あっさりと擦れ違う」


 この本には私も登場する。芦沢さんとはそれくらい近い関係だった。私は、芦沢さんのこのものの言い方に反発していた。


この本の発行当時、私はいいヤマメ釣りの場所を育てたくて、山村の漁協の役員さんたちと交流をもち、ヤマメの発眼卵放流を進めようとしていた。地域と深くかかわらなければ何もできないではないか。芦沢さんのように目礼ひとつなんて気取っていられない。

須川集落の廃
 私の行動を支持してくれながら、もういっぽうでこんなあとがきを書く芦沢さんへの不信感があった。
 
 『山女魚里の釣り』のあとがき、芦沢さんの屈折した思いがじんと胸に染みるまで、長い年月を要した。芦沢さんはとっくにあの世へ行っていた。

 芦沢さんが言ったのは、おそらくだが、現実をわきまえざるをえないということだったのだろう。ヤマメを釣りに行ってその土地が好きになり、人と交わってさらに好きになる。それはごく自然ななりゆきだ。私のように、さらに何かをしたいと動き始める者もいる。

 けれども、道は遠い。ゴールが見えるのなら遠くてもかまわないが、たとえば野間のような山村の荒廃は社会構造が変化した結果だ。言い方を換えれば、これが現時点での野間のゴールなのだ。
 ボランティアの人たちも、今日の充実感に満たされながら実は瀬戸際じみた明日を見ているのではないだろうか。
 かといって「あきらめろ」なのではない。現実が夢色ではないことを知っても、夢色ではないからといって夢をあきらめる理由にはならない。何か有意義なことができそうな気持ちでいたいのは山々ながらも、そうなりがちな自分を抑制して、夢色ではない夢とありのままに付き合う。体育会系的なポジティブさで己をごまかさない。そういう意味ではなかったのだろうか。

 その精神性を、芦沢さんはこのように言っている。


 「満足のひとかけらもない、と同時に失望も、落胆もそこにはない。出会いも別れも、決して特別のものではないのだが、ああ、これこそが今の姿なのだな、私の時代なのだな、と思う」



0 件のコメント:

コメントを投稿